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愛媛の文人紹介:芝不器男

愛媛にゆかりのある歴史上の人物を紹介

芝不器男の画像

シバフキオ

芝不器男 1903~1930

明治36年4月18日愛媛県北宇和郡明治村(現松野町)松丸で、父来三郎・母キチの五男として生まれる。不器男という名は本名。論語の「子曰、君子不器」(限られた「器」であってはならず、幅広い視点と自由な発想を持つ人物でなければならない)から父来三郎が命名したと言われる。
大正5年に宇和島中学校(現宇和島東高等学校)に入学。(一級上に俳人の富澤赤黄男がいたが交友はなかった。)大正9年、松山高等学校(現愛媛大学)に入学。旅行部に所属し、「日本アルプス踏破記」を校友会雑誌に書いている。大正12年に東京帝国大学農学部林学科に入学するも、夏休みの帰省中に関東大震災が起こり、以後、上京をしなかった。この頃より姉の妙のすすめで俳句を作りはじめる。大正14年に東京帝大を中退し、東北大学工学部機械工学科に入学する。この頃、吉岡禅寺洞の「天の川」で一躍巻頭を飾り、以後、同誌の巻頭に不器男時代が到来する。大正15年12月松丸に帰省し、以後仙台には行かなかった。その後「ホトトギス」で高浜虚子の鑑賞を受け、注目を浴びる。東北大学には2年程在学するも、昭和2年に退学。昭和3年に太宰文江と結婚し、太宰家の養嗣子となる。昭和4年病魔に侵され、福岡の九州帝大付属病院に夫婦で入院する。治療にあたるも、昭和5年2月24日、26歳の若さで永眠する。主治医で俳人の横山白虹は「彗星の如く俳壇の空を通過した」と評した。

作句のはじまり

不器男が俳句をつくるきっかけとなったのが、大正12年頃、たまたま遊びにきていた不器男を、11歳年長の姉である青木妙が、婚家の青木家での句会に誘ったことがはじまりだといわれている。そして大正14年の暮れまで「枯野」を読み、投句をするようになるが、やがて「枯野」に満足できず、「天の川」にも投句をはじめる。そのきっかけとなったのも兄の馨三が不器男に「天の川」を渡して投句をすすめたことであるといわれており、また、不器男がはじめて「ホトトギス」を見て感銘したのも兄馨三のところへ寄ったときであり、不器男と俳句との関係は兄の馨三と姉の妙が大きな役割を果たしていたようである。

芝不器男の句碑

洗練された俳句

不器男の作品のほとんどは大正15年から昭和3年までの3年間に作られている。短い間に作られた僅かな作品でありながら、どれも見事な完成度であったために、その才能と感性において人々に大きな印象を与えた。また、俳句に万葉語を用いた例もあり、古語や万葉語だけでなく、俳句へのことば遣いや文体は斬新である。

あなたなる夜雨の葛のあなたかな

虚子の名鑑賞で大変有名になった俳句。
まず遠く思いを故郷に走らせ、物寂しさを感じる目の前の暗闇に郷里を思いやった風景を想像し、それからまた思いを郷里の方に馳せるという、郷里に対する深い思いと物寂しさを強く感じられる俳句。

永き日のにはとり柵を越えにけり
麦車馬におくれて動き出づ

いずれの俳句も現前する空間と時間の絶妙さがよくあらわされている俳句。柵を越える鶏、馬と引かれる車の一瞬の時間の確かさが的確に表現されている。