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文学のまち松山

正岡子規とその仲間たち

 ●松山が生んだ近代俳句の祖、正岡子規

俳句・短歌の革新運動を行い、
日本の文学に新風を吹き込んだ「正岡子規」

正岡子規は松山市の生まれです。帝国大学に学びますが結核のため中退。その後、新聞「日本」で俳句の革新を叫んで日本派俳句を確立します。病の床についても文学への情熱が衰えることはなく、短歌革新や日本語の散文を作り上げ、日本を近代文学の世界に導きました。
詳しく知りたい方は >>>「文学の散歩道:正岡子規編」

●子規の仲間たち

子規の周りには文学を志す友人や弟子たちが集い、俳句や短歌など心ゆくまで熱く語りあった

子規は非常に多くの人物と交流があり、後進の育成にも熱心でした。そのため子規のもとには多くの文学者や文学を志す者たちが集いました。子規の没後、意思を継いだ弟子の高浜虚子や、新傾向の俳句に進んでいった河東碧梧桐、友人であった柳原極堂など、その他数多くの俳人・文化人たちが松山から育ちました。松山の文学開花に繋がったともいえるその様子は「子規山脈」という言葉でも表されるほどです。

文学の地を訪ねて
文学の地1

愚陀仏庵

愚陀仏庵で共に過ごした夏目漱石と子規

日清戦争の従軍記者として戦地に赴いていた子規は、病のため松山に戻りました。その頃松山に滞在していたのが後の文豪、夏目漱石。漱石と子規は大学予備門時代からの親友で、子規も漱石のことを畏友(いゆう)と評するなど、一目置いていたようです。松山に戻った子規は、漱石の下宿に転がり込み、約50日間同居します。ここには文学を志す者たちが数多く訪れ、毎晩のように句会が催されたといいます。共に文学について熱く語り合ったこの場所は、子規をはじめ、漱石やその他の文学を志す者たちの起点ともいえる場所となりました。現在、彼らの過ごした愚陀仏庵は、当時の場所とは異なりますが、城山の南側ふもと、萬翠荘の裏に復元されています。

文学の地2

子規堂

復元された子規の書斎、子規堂を訪ねてみよう

正岡子規の菩提寺である正宗寺境内には、子規の旧宅が復元されており、書斎などもあります。子規の机には当時に似せて机や硯なども置かれており、その他様々な資料が展示されています。また、境内には子規の埋髪塔や内藤鳴雪の髭塔、高浜虚子の筆塚、そして坊っちゃん列車の客車などがあります。

文学の地3

子規記念博物館

正岡子規をより深く学ぶなら子規記念博物館へ

松山は、万葉の歌にも詠まれているように、温泉があったことにより古くから多くの文化人たちが訪れ、文化的土壌の厚い土地柄でした。子規の生まれ育った松山の歴史・文化的背景や自然を理解しながら、ジャーナリストの子規、研究者の子規、俳句革新の子規などざまざまな顔を持つ子規を深く知ることのできる博物館となっています。